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担当者のつぶやき、徒然なるままに・・・2005-2006

 このページは、担当者個人(2005年9月現在32歳の男)の心のつぶやきというか、感じたことなどを書き殴っていくようなページになると思います。

 興味のある方が読んで頂ければそれで良し・・・極端な話、誰も読まない、そんな結果になっても気にしないようなページです。
 
 まじめに読むようなページではないので、緑の回廊プロジェクトに興味がある方が積極的に読むようなものではないと思って頂いてもいいと思います。

2005年7月7日(木)
 牛田先生が当社を訪問されました。実は、私はその日は別の用事があって、出張中でまったく話を伺っていません。この日は会社に戻ることもなかったので、何があったのかは後日知ることとなります。 

 正直、緑の回廊プロジェクトということについては、漠然と話を聞いたことはあったにせよ、実際にどんなことが行われているか知らなかったのです。牛田先生がヒマラヤのポプラ並木の写真をみて興味を持たれ、ギニアのボッソウに持ち込めないかと話されたときに、当社は、当社から担当者が行くべきだろうという話しを持ち出した・・・らしい。

 「もしかしたら、○○くん、ギニアに行かなあかんかも知れんぞ・・・」(一応担当者の名前は伏せておきます。ちなみに関西なので関西弁です・・・)

 こんな話をされても、話の内容が全く理解できない・・・話の展開について行けないというのが正直な気持ちでした。

2005年7月30日(土)
 立花先生とお話しさせて頂きました。当社は日本での緑化事業に関しては現場もたくさんみているし、植物もみています。感覚として何となく分かる、というところがあるのですが、ギニア・・・想像すらできないのです。中学・高校の時に地理の授業などで習ったことしか分からない、つまり一般人と情報量は大して変わらない、というところだったのです。熱帯地方の植物をよくご存じの立花先生に話を伺うことで事前の心の準備と知識の準備をしておこう、そういうことで話を伺ったのです。
 立花先生はかなりの博学の方で、実際に植林活動を行うに当たっての技術的な話はもとより、その他これからの人生のあり方、世界の文化の違いなど様々な話を聞かせて頂き、大変有意義な時間を過ごすことができました。

2005年8月3日(水)
 牛田先生と、8月半ばからボッソウに旅立つ京都大学の学生さんと一緒にヘキサチューブの現場を見に行きました。日本でどのようにヘキサチューブが使用されているのか。そして、どのような成果があるのかをみて頂こうということだったのです。牛田先生は京都府立大学農学部の生物生産科学科の動物生産学・動物機能学講座の先生です。完全に個人的な話ではありますが、私も京都府立大学の農学部の出身です。京都府立大学は小さな大学で、おそらく全学で1500人いるかいないかという大学なので、極端な話、大学外の人間が大学に入ってくるとすぐに分かるというような大学なのです。とても、親密な感じの大学なのです。したがって、絶対に知っているはずの先生なのです。が、残念ながらお話はしたことがないので、どのような先生かは知らないも同然でした。でも、一日一緒に行動させて頂いて、実に人柄の良い先生で(若輩の私が言うのも失礼なのですが・・・)安心しました。もし、ギニアに行くことになるなら、牛田先生とともに行くという話だったので、ほんとに安心したのです。
 

 この場に及んでも、まだギニアに行くという実感がない担当者・・・ほんまにに行くの?

2005年8月15日(月)
 京都大学霊長類研究所の松沢先生の研究室を訪問しました。緑の回廊プロジェクトを中心的に行われているのが松沢先生なので、是非ともお話しさせて頂こうということで、お盆の最中訪問しました。松沢先生も、実に感じのいい先生でした(失礼を承知で書いています・・・)。それに、チンパンジーをみました。チンパンジーって結構大きいんですよね。体重は成人男性並みの60~70kgくらいはあるとのこと(記憶が確かならば、ということですが・・・)。背の高さはそれほどではないのですが(120cmくらいでしょうか)、体格がいいのです。肩幅も広く、筋肉質。野生動物の力強さを感じました。また、このチンパンジーの中にアイちゃん(NHKなどで紹介されている天才チンパンジーのアイちゃんです)がいると思うと感動(ミーハー丸出しです)。どのチンパンジーがアイちゃんなのか分かりませんでしたが・・・残念ながら初めてみるチンパンジーを見分けるのは不可能でした。でも、霊長類研究所で研究されている方々はさすがにチンパンジー個人を認識されています。すごい・・・
 それにしても、チンパンジーの知的能力の高さというのはすごいものだと思いました。研究所の方のお話では、チンパンジーは暇が嫌いだとか・・・研究を行っているウィークデーはチンパンジーはストレスを感じないとのことですが、週末やお盆休みなど研究が休止する日はチンパンジーは退屈で仕方がないとのこと。いたずらをする日は決まって暇な日だとのことです。退屈が嫌だということはやはり知識レベルが高いということではないですか?そう思いませんか?

 松沢先生にはボッソウのチンパンジーに関する論文集と、松沢先生がお書きになった「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」(岩波新書)を頂きました。論文集は専門的なもので、さすがに植物に関するところをちょっと目を通した程度ですが、「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」は完全に読破。とてもわかりやすく、とてもおもしろい本でした。興味のある方は是非とも読んで頂きたいです。松沢先生をはじめとして、霊長類研究所の方々はチンパンジーを数えるときには○人と数えておられました。「進化の隣人 ヒトとチンパンジー」を読むとその気持ちが十分に分かるような気がしました。

木曜日に放送されている「志村動物園」という番組を皆さんはご存じでしょうか?時間的(19:00から放送)にとてもみられる時間ではないのですが、ビデオを撮ってみています。チンパンジーのパンくんと犬のジェームスくんのお話ですが、とてもおもしろく、驚きでいっぱいのコーナーがあるんです。チンパンジーの知識レベルの高さと、想像力の豊かさには驚かされます。犬のジェームス君もかなりの賢さ・・・ヒトとして見習わなければならないところも多くあるような気がします。進化の隣人チンパンジー・・・チンパンジーにいつか追い越されて「猿の惑星」のような世界にならないように、ヒトがヒトとしてあるために何をすべきか・・・少し考えさせられます。

 松沢先生とお話ししていて、徐々にギニアへ行くのかなぁ・・・と少しずつ実感がわいてきた。そんな感じです。

 そういえば、松沢先生に別れ際に
「○○さんは外国語は?」と聞かれ、
「英語は何とかアップアップでも会話ができますが・・・大学でドイツ語は習いましたが会話はとても・・・(汗)」と答えると・・・
「向こうはフランス語圏ですから是非ともフランス語に慣れてください」と先生。

(フ、フランス語ですか・・・長年学校で習ってきた英語でもろくに会話ができないのに?習ったこともないフランス語ですか・・・)

2005年8月29日(月)
 毎日新聞の記者の山田大輔さんとお会いすることになりました。山田さんはかつてボッソウを訪れたことがある方ということでお忙しい中時間を作って頂いてお話を伺うことになったのです。愛知万博の会場に詰めているとのことで愛知万博会場に行きました。万博会場に訪れたのは実はこの日が初めて。この日の来場者は15時現在で12万人だそうです。12万人?そんなに来てるの?正直、入園料だけでも結構高いと聞いたことがある担当者はまったく行く気がない、という状態だったので仕事でもなければおそらく来ることはなかった万博。そこにそんなに人が来ているなんてちょっとした驚きでした。

 それはともかく、山田さんにお話を伺いました。「ギニアのボッソウ村は比較的豊かな村ですよ。」写真をみせてお話ししてくださる山田記者。たしかに、村人のほとんどが服を着ているし、履き物を履いている人が多いのです。人々の表情も豊かで明るい印象があります。「現金収入は少なくても、食べるのには困らないんですよ。」とのこと。なるほど・・・やっぱり食べる事というのは人が生きていく上で根幹に関わることだから、ここがしっかりしていると余裕が生まれるんですね。また、週に一度市が開かれるようで、活発な村。外国の製品もいろいろ入ってきているようです。私が想像していたよりもずっといろいろなものがあるんです。野菜から服飾品、日用雑貨まで。さすがに日本と同レベルというわけにはいかないのですが、思っていたアフリカとは違う。
(是非とも山田記者が作られたHPをご覧になってください。「進化の隣人と暮らす」ボッソウ村の様子がよく分かります。)

「ここでは英語がほとんど通じないのが困りましたね。ほとんどの人がフランス語を使うんですよ・・・」(山田記者)
(やっぱりフランス語ですか・・・)
「コートジボアールから来ている人の中には英語が分かる人がたまにいるんですけどね・・・」(山田記者)
(やっぱりフランス語は必要なのかぁ・・・)

「ボッソウ村という場所はそうそう行けるような場所ではないですから、いい経験をされると思いますよ」
「何か分からないことがあったら、気軽に聞いてください。先生方には質問しにくいようなことでも私になら話せることもあるでしょうし・・・」

新聞記者の方とお話しさせて頂くのはこれが初めてだったのですが、とても感じの良い人でした(相変わらず若輩が生意気言ってますが・・・)。ボッソウ村は人を穏やかにする何かがあるのでしょうか・・・私もボッソウに行くと穏やかな人物になれるのでしょうか・・・。

 いろいろな人々に話を伺っているうちに、自分がギニアへ行くのだ、という感覚が強くなってくるような気がする・・・。

 それにしても、やっぱりフランス語・・・ここがネックです。ぼとぼちフランス語の勉強でもしましょうか・・・最低限の挨拶くらいはできるように。まずはそこからでしょう、ね。

 初めてみる万博会場。人人人・・・とてもパビリオンに行くような気にはなれず、会場をぐるっと一周して帰ってきました。もったいないと思われるかも知れませんが、残念ながらそんな余裕もなく・・・だって、ギニアですよ!

 フランス語の簡単な辞書を買いに行きました。仏和辞書はたくさんあるのですが、和仏辞書というのはなかなかなくて困りました。コンサイスの和仏・仏和、デイリーの仏英和・和仏英がありましたが、コンサイスには発音記号すらない。これは大変ですよ。だって、発音の基本も知らない私には発音記号がないと読めない。デイリーの仏英和・和仏英は発音記号はなく、なんとカタカナ表記。でも、読めないよりはましかとそちらを選択。すこしでも、フランス語になじむべし・・・できるのかなぁ(心配)。

2005年9月15日(木)
 予防接種に行くことになり、高槻予防接種センターへ。立派な建物を想像していただけに、「・・・」。今回は破傷風とA型肝炎の予防接種第一回目です。破傷風の予防接種は幼い頃に三種混合でやったから大丈夫、と思っていました。死ぬまで大丈夫なのかと・・・。皆さんご存じでした?三種混合の後、12歳頃に定期予防接種を行い、その後20歳前後までは効力があるが、その後は免疫力が低下するので追加接種が必要なことを。担当者は、まず12歳頃に破傷風の予防接種をしたという記憶がなく、その上20歳を超えると免疫がなくなりつつあるなんて、恥ずかしながら知りませんでした。牛田先生は、私の仕事柄、土をさわることも多いので、破傷風はすでに予防接種済みであると思われていたそうです。ということは、免疫力がない状態で土と戯れていたと・・・ちょっと怖い気もしますね。だって、知ってました?免疫力が低下するって事・・・10年間隔くらいで追加接種した方がいいそうです。何はともあれ、予防接種に関する知識を得たことと、破傷風の予防接種ができたことは今回の収穫のうちの一つでした。破傷風というのは日本でも普通に生息している菌から発病するので、日本在住でも免疫力があったのに越したことはないですからね。

 破傷風の予防接種は皮下注射なので大して痛みもないので、接種されることをお勧めしますよ。A型肝炎は食べ物から感染するとのことなので念のために接種することにしました。これはどうやら筋肉注射だったようで、破傷風の注射と比べると少し痛みが強かったのですが、泣くほどのものではありませんでした。感じ方には個人差もあるでしょうけど・・・個人的には小学生の頃脊髄注射をしたことがあり、これより痛い注射というのは経験したことがないもので・・・これはホントに痛かった。骨折するよりも痛いと思います。最近は(大人は?)麻酔をかけてから脊髄注射をするようですが・・・話がそれてますね。
 ともかく、徐々にギニア行きの準備が進んでいます。破傷風とA型肝炎はもう一度追加接種をする必要があり、それが終了してから、黄熱病の予防接種が控えています。これが終われば、とりあえず体の準備が整うということです。あ、後一つ、マラリアの予防がありますね。これは、薬を飲むことで予防するそうです。普段全く薬を飲まないので、忘れないようにしなければ・・・

 予防接種を行った翌日、朝起きると腰が痛い・・・もともと腰は弱くて、常に腰痛を抱えたような状態なのですが、いつもと感じが違う。「怠くて、重い」という感じの痛さ。倦怠感と痛みというところでしょうか。副作用として倦怠感などがでる事もあるといわれましたが・・・副作用なのでしょうね。これが・・・3日くらい腰の痛みがあり、同じ姿勢で長時間いるのが耐えられない。座っていてもダメ、寝ていてもダメ。おかげで、連休はぐったりしてました・・・
 でも、病気になるよりはましですからね。また、追加接種があるので、場合によっては副作用との戦い(大したものではないですが・・・)があると思うと、少しばかり憂鬱です。

2005年10月3日(月)
 第2回目の予防接種に行くことに・・・1回目の予防接種はあくまでも記憶の呼び起こしのようなものらしいです。2回目に本格的に免疫力をつける作用にはいるというのです。前回と同じ予防接種なので、慣れたものです。あっさりとしたものでした・・・注射をしてくれる先生が若い先生になっていたこと以外は・・・

 今回の予防接種はほとんど副作用はなかったのでずいぶん楽でした。

2005年10月13日(木)
 いよいよ予防接種も最終段階で、この日の黄熱で予防接種は終了です。かなりの人がセンターに押し寄せ所狭しと注射を待っている状況でした。結構多くの人が黄熱伝染地域に出て行くものだな、と感心しました。接種後10日間は無理をしないようにといわれました。黄熱は生ワクチンなので軽く黄熱に感染した状況になって、それで免疫力をつけるようなのです。この注射1本で10年間は黄熱に感染しないとのこと・・・。注射から10日が経過すると効果が現れ、証明書も有効となるそうです。そうです、黄熱の予防接種をうけると世界共通の証明書が発行され、場所によってはこの証明書がないと入国・出国できないそうなのでパスポートと同じくらい大事なものとなるんです。ものをなくしやすい質なので、気をつけないと帰ってこれなくなる・・・

2005年10月18日(火)
 少しでも、フランス語のアレルギーをなくそうと、インターネットでフランス語の基本について少し調べてみました。すると、フランス語のヒアリングにお勧めの映画として、「恋人たちのアパルトマン」という映画が紹介されていました。ちょっと古映画なのでDVDを探すのは少し苦労しましたが、なんとか見つけて購入することができました。映画が好きな私は、映画ならフランス語でも観ると思って購入に踏み切りました。もともと、語学は苦手なので、どこまで馴染めるか不安はありますが、何もしないよりはましでしょう、という程度でしょうか。ゆっくりとマイペースですが、徐々にでも前進しようと思います。

2005年10月24日(月)
 ギニア行きの日程が決まりそうです。牛田先生からメールを頂きました。出張に出ている間にメールを頂いていたようで、お返事が遅れてしまいました(この場をお借りしてお詫びを致します)。残念ながらひいきにしている旅行会社などがないので、手配に関しては、旅行会社を探すところから始めなければならないようです。

2005年10月26日(水)
 牛田先生、京都大学霊長類研究所の方からメールを頂きました。京都大学からもギニアへ行くことになりました、とご連絡を頂きました。霊長類研究所ではひいきにしている旅行会社があるとのことです。また、ご厚意で私の航空券などの手配も一緒にして頂けるとのことです。ホントにありがたいことです。ギニアへの渡航はビザが必要とのことですが、ビザが必要な国に渡航したことがない私はどうすればいいのか、ちょっと頭を悩ませていたところでした。この場をお借りして、御礼申し上げます。

2005年10月31日(月)
 ギニア渡航の日程が決まりました。12月11日に渡航し、1月16日に帰国することになりそうです。ホテルの手配・旅券の手配をして頂いた霊長類研の方に感謝いたします。

2005年10月末
 京都大学霊長類研究所から資料を頂きました。松沢先生が執筆された本と、ボッソウ行きのための準備のための情報と準備物などのリスト、ボッソウでの必要最小フランス語60を頂きました。何から何まで至れり尽くせりの状態です。感謝いたします。でも、少しばかり精神衛生上、いい情報でした。必要最小フランス語60のうち、ほとんどは一応、対応済みです。しかし、これで気を抜いてしまいそうで・・・

2005年11月18日(金)
 SAGA(アジア・アフリカに生きる大型類人猿を支援する集い)が大阪芸術大学で行われました。松沢先生ももちろん参加されます。また、私と一緒にギニアへ行かれる方も来られているとのことなので、行くことにしました。松沢先生のお話では、完全手弁当で行われているのがSAGAらしいです。このSAGAももう8回目らしいのですが、すごいことですよね。完全手弁当で8回目。皆さんの関心の高さと、意識の高さに驚かされました。ポスター発表もたくさんあり、類人猿についての研究の成果が惜しげもなく発表されていました。正直、この仕事に携わるまでは、チンパンジーについてはほとんど何も知らなかった担当者ですが、松沢先生からチンパンジーについての本などを頂き、読ませて頂きました。チンパンジーっておもしろいですね。ニホンザルとチンパンジーの距離よりも、人間とチンパンジーの方が距離が近い、こんなこと思いもしませんでした。まだまだ知らないことがたくさんあると、改めて思い知らされる今日この頃です。仕事でギニアへ行くからには、少しでも成果を残したい、そう思っています。が、松沢先生からは「無事に帰ってくることが一番の仕事なので、くれぐれも無理はしないように」と言われました。松沢先生は、「わざわざ日本から木を植えるためにだけ来たのだ。そういう姿をみせるだけでも財産になりますから」とも仰って下さいます。おそらくは、私へのプレッシャーを少しでも減らすようにと気遣って下さっているとは思います。でも、頑張って頑張って体調を崩してしまっては、結局迷惑をかけることになりますし、かといって折角行くので、姿を見せるだけではなく、少しでも成果が残るようにしたいとも思います。でも、確かに知らない地に行くのですから、間違いなく普段の生活とは異なりますし、気をつける必要はあるでしょう。「無理はせず、できることからコツコツと」を心がけて行きたいと思います。

2005年11月22日(火)
 抗マラリア薬のメファキンをなんとか手に入れることができました。大阪検疫所から頂いたリストを元に近所の病院に電話したところ、今はやっていないといわれたり、1週間分は処方するけど残りは現地で購入するようにといわれたり・・・大きな病院に問い合わせても処方できないとか、大学病院などでは発症してからでないと処方できないといわれて・・・保健所に問い合わせて下さいといわれて保健所に電話すると病院に聞いて下さいと・・・たらい回しにされる始末。でも、結局は大阪検疫所で頂いたリストの中にあった「大阪市立総合医療センター」で出発前から帰国後1ヶ月分を処方して頂きました。大阪近辺からマラリア流行地域に渡航される方は、「大阪市立総合医療センター」に行けば、確実に処方いて頂けますよ。出発の1週間前からこのメファキンを服用すればとりあえず、ギニアに向けての体の準備は完了です。

メファキンという薬は副作用が結構あるようです。副作用は必ず出るわけではありませんが、目眩・幻覚・妄想・吐き気などなど、様々な副作用があるらしく、服用には十分な注意が必要です。必ず、お医者さんに診てもらって処方してもらった方がいいでしょうね。副作用が出ないことを祈りつつ、服用します。マラリアになったら大変ですからね・・・

2005年11月30日(水)
 ギニアへの渡航費用の振り込みが終わりました。これで、いよいよという感じがします。来週から寒くなるようなので、風邪を引かないようにだけ気をつけなければ・・・

2005年12月4日(日)
 ギニア渡航の準備の一環として、先日購入したメファキンを服用。副作用についてかなり色々書かれていたので微妙に心配していたのですが、少しクラクラするくらいでその他は特に問題なし。少し睡眠も浅いかなぁ、という気もしますが気にし過ぎなのかも知れません。この薬、集に一度服用する必要があるので毎週日曜日に飲むことを忘れないように・・・

2005年12月6日(火)
 ギニア渡航のためのビザが送られてきました。生まれて初めてのビザです。すごく特別な気分がするとともにいよいよ渡航するんだと思うようになってきました。

2005年12月11日(日)
 関西国際空港からエール・フランスでパリ・シャルル・ド・ゴール空港へ。11時間のフライトでした。パリに着くと夕方。パリは北緯48度くらい。北海道札幌市で北緯43度くらいらしいので、相当北に位置することになります。冬は夕方早くから暗くなり、朝はなかなか明るくなりません。気温は京都などと大して違いがないような気がしますが、そういったところから海外に来たのだという気がしてきます。それでも、実感としてはちょっと物足りないような気もしますが・・・明日はいよいよギニアへ向けてフライトです。

2005年12月12日(月)
 夜9時過ぎにギニアの首都コナクリに到着しました。飛行機を降りるとすぐさま熱気を肌で感じます。常夏の国へやって来ました。入国審査はスムーズに進み、荷物を受け取ると本日はとりあえず宿泊するホテルに移動するだけです。空港からコナクリ市街地までの移動は、KUPRI(京都大学霊長類研究所)のトヨタ・ランドクルーザーを使用させて頂きました。そのランクルでも避けて走らなければならないようなくぼみなどが幹線道路のあちこちにあり、インフラ整備が遅れている実情を実感しました。多くの人々が夜が遅いにもかかわらず活動し、エネルギッシュな感じは受けます。しかし、電力事情の悪さから信号機などもなく、日本での生活に慣れた私の目には秩序がないような印象ですが、地元ではもちろん暗黙の了解があるのでしょう。いきなり、目の当たりにした文化の違いというか・・・カルチャーショックでした。

その後、しばらくコナクリに滞在し、官庁への挨拶やチューブの輸送の打合せなどをこなしました。今回一緒に渡航して頂いた牛田先生が大活躍でした。フランス語の勉強を少しはしたのですが、日常会話をこなせるほどの語学習得はムリだった私(挨拶程度しかできなかったのです・・・)。牛田先生の存在がとても大きくとても助かりました。同時にとても申し訳ない気持ちになりました。もう少し語学の準備ができていれば・・・と思ってしまいました。

コナクリで滞在したホテルの窓からみえた朝陽。これまで地図でしかみたことがなかったギニア湾から昇る朝日をみて、遠くまで来たんだなぁ・・・と実感。

2005年12月17日(土)
 ボッソウ到着。今回は陸路での移動だったため、途中ファラナという町で1泊しての移動となりました。それでもボッソウに到着したのは夜暗くなってから。いよいよボッソウでの生活が始まることとなりました。

ギニアでは、車はとても貴重品。しかし、とてもポピュラーな移動手段です(鉄道がないので、長距離の移動はタクシーや自家用車などに乗せてもらいます)。そして、大人数を無理矢理くるまに押し込んで、荷物を屋根に・・・というのが一般的。ギニアの道を走っているとこの写真のように屋根に大きな荷物を積んでいる車はたくさん見かけます。

ボッソウで活動するに当たって、事務的な手続をする必要がありました。ボッソウはコートジボアールやリベリアといった隣国に近い場所に位置するため、届け出が必要となるのです。その届け出が終了してからサバンナの視察などを行うことになりました。

向かって左側がこれから1ヶ月、ボク達が過ごす研究所です。右側の建物はIREB(ボッソウ環境研究所)。なかなか立派な建物です。が、基本的に電気・水道・ガスはありません。発電機をかけて発電し、井戸で水を汲んで生活用水とし、ガスはボンベのガスがなくなれば町で買ってくる、そういう生活になります。

乾季の初めの頃は、写真のように朝は霧がかかっています。周辺の木々には多くの朝露が付いてて、雨のように水滴を落としています。これが木々の力であり、環境の力なのか・・・と感じます。サバンナでも朝露はありますが、地面に水が落ちるというほどでもありません。木々が生えれば環境は変わる・・・はずです。

2005年12月19日(月)
 国境付近の町(村)へ行って手続を行いました。KUPRIから発行して頂いた証明書とパスポートなどをもって警察?へ。パスポートにも判を押して頂きました。パスポートへの記入などを入国出国審査官や外交官以外の人に行われたのは初めてだったので、面食らいましたが、必要なの書類なので・・・
その手続が終わった後、初めてサバンナに行きました。GreenCorridr用地に行ったのです。乾季のサバンナは・・・と日本にいるときに思いを巡らせていたのは、ステップに近い風景。以前みせて頂いた写真では、サバンナの部分は茶色く(黄色く)写っていたような気がするし、グーグルアースの衛星写真ではサバンナと思われる場所は茶色く写っていたので、勝手にステップのような風景を思い描いていたのです。しかし、全然違うもので、驚きました。
草丈2m以上はあろうかというイネ科の植物(学名:Pennisetum purpureum 英名:ネピアグラスもしくはエレファントグラスというらしい)が株になって一面に広がっています。その草の中に、おそらくは植栽されたであろう木々が見えます。勝手に、乾季の強烈な日差しで植栽木が弱って枯れているのではないかと考えていたのですが、全く予想に反しています。おそらくは、ネピアグラスがつくる陰によって、光不足で枯れているものが多いのではないか、と感じました。この8月に草刈りをしたというところでも草丈は悠に1mは越えています(1.2m位にはなっていると思う。胸の高さ以上はあったから・・・)。4ヶ月ちょっとで1m以上伸びるのです。いくらなんでも、そこまで成長が早い木はそうそうありません。しかも、かなりの密度で株立ちするのでたちが悪い、という印象。サバンナでの植栽の天敵はこのネピアグラスのようです。しかし、そのサバンナの中に高さ3~4mを越えるような木々が群落を形成している場所がありました。この事実は意外でした。明日はゆっくりと歩いてサバンナを見てみたいなぁ・・・

国境付近の村(チュオ村)の警察の隣にあった肉屋さん。肉屋といっても、ご覧の通り、樹に肉の塊がぶら下がっていて、隣に一応の調理台としての机が置いてあるだけです。もちろん、肉にはハエがたくさん・・・高級品の牛肉(これはもしかして豚肉かなぁ・・・)といってものこ扱いです・・・

2005年12月20日
朝はセリンバラ村を訪問してから、セリンバラ小学校を見学に行き、その後緑の回廊計画地を歩くことになりました。昨日、ざっくり現場を視察したときにときにみかけた木々の群落はHarungana madagascariensisという木の群落でした。現地の人の話によると、このHarunganaが群落を形成している場所は元々イネを栽培していた場所だということなのです。後日分かったことなのですが、ここ緑の回廊計画地では様々な試みがなされています。現地の人々の生活を排除せずに、現地の人々の生活と共存する形で緑の回廊計画を推進するために、サバンナで農作物を栽培しつつ植林事業を進めていこうという試みです。その中でも、この群落ができている場所では陸稲を栽培していたそうなのです。土地を耕し、タネを播いてコメを育て、畝と畝の間に植栽事業を行ったと聞いています。コメができると鳥がそのコメをねらって飛んできます。日本でもスズメが田んぼに集まってくるのと同じです。そして、その田んぼで当然のように糞をしていきます。その糞に混じったハルンガナ(Harungana madagascariensis)の種子が発芽して群落ができたとのことです。(私が思うに、鳥が糞をして種子を播いたというだけではなく、土中に眠っていた種子が耕耘という作業によって休眠から目覚め、発芽したという可能性もあるのではないかと考えています。種子が発芽するには様々な刺激が必要であると考えられています。例えば、吸水、光刺激、低温刺激、高温刺激、種皮の損傷による刺激などなど。)耕耘して稲作と植栽を行ったのが2003年ということでした。ということは、2年とちょっとで4mくらいの木々の群落ができているということになります。これは驚くべき事でした。その群落の中では、ネピアグラスは成長することができません。光が足りないからです。しかし、ハルンガナの稚樹たちは徐々にではありますが育ちつつあります。成長の早さからハルンガナはパイオニアであると思われますが、そのパイオニアの木が育つことができる程度の光は、群落の中でも確保できているようなのです。つまり、ネピアグラスは育つことができないが、木々を育てることができる光量は確保できる、という可能性があるということです。このハルンガナをうまく利用して緑の回廊を造れないものか、と考えを巡らせることとなりました。また、このハルンガナの実はチンパンジーも食べるらしいので、一石二鳥だと思うのですが・・・いかがなものでしょうか。


この日は、緑の回廊計画地付近の河畔林の様子をみたくて、ネピアグラスをかき分けて河畔林内に入りました。ネピアグラスというのは大きくなると葉が固くなって、その表面を覆っている毛もかたく、半袖で侵入しようとすると露出している部分は傷だらけになるような代物です。暑いなか我慢して厚手の長袖シャツを着て歩くしかないのです。植栽地から緩傾斜を下って(標高差10mくらいでしょうか)いくと河畔林の林縁部分に到着です。この河畔林には樹高が30mを越えているであろう高木が育っています。おそらくは、この河畔林を形成している木々と同じ木々が今はサバンナと化しているこの地を覆っていたのでしょう。乾季の今でもうっそうと葉を茂らせている木(Uapacaが多い)や落葉しているものの実を付けている木々があります。この河畔林を拡大していく方法も有効だと思われますが、河畔林のように上に木があって、陰になっているところは様々な生物が生息していると思われます。蛇などもいるかも知れません。我々は蛇には遭遇しませんでしたが、樹上から落ちてくるアリに襲われ、あちこち咬まれました・・・。そのような条件の中で植栽事業を行っていくのは現地の人々にとっては難しいのかも知れません・・・

セリンバラ村の小学校です。松沢先生の協力で立てられたというお話しです。教室内には黒板と机があるという実にシンプルな建物ですが、ここで子ども達が教育を受けて、将来ギニア共和国を背負って立つ二都に成長していって欲しい物ですね・・・

2005年12月22日
いよいよチューブをサバンナに設置する日が来ました。朝からKUPRIのランドクルーザーにチューブを200セットと14人の人間を無理矢理乗せて現場へ向かいました。先生は用事があるということで、少し遅れてこられるとのことで、かなりつたないフランス語と身振りを交えて何とか組み立て方法と設置方法を説明し、なんとか理解してもらって設置作業開始です。2005年8月に植栽されていて、枯れずに育っている木々にチューブを被せていくのです。日本では2人1組で一日150セットの設置を行うのが標準です。それと比べると明らかに人数過多ですが、サバンナという土地では午前中までに仕事を終わらせないと、体力的に無理があるということを実感しました。何しろ暑いのです。太陽を遮るものは何もないので、休憩していても体力を消耗していきます。ヘキサチューブに慣れていないということもあってか、この人数でも9時前から設置を始めて、設置し終えたのは12時くらいでした。仕事を終えた後は、作業して下さった方々とお酒を飲みに行くことになりました。お酒といっても、ヤシから作った「どぶろく」のようなものです。ヨップルと呼ばれるこのお酒はRaphia viniferaというヤシから作られるお酒らしく、葉っぱの基部か幹に傷を付けて樹液をポリタンクで受けておくと、半日でお酒になるというものらしいのです。白濁したお酒で少し酸味があるお酒でした。

仕事が終わった後、セリンバラ村でヨップル(ヤシ酒)を飲んでいるときの写真です。みんなほろ酔い気分でまったりしています。作業していない人までやって来て、ちょっとしたお祭りのような感じでした。

2005年12月23日
昨日の続きで、ヘキサチューブの設置作業です。昨晩当たりからお腹の調子が悪かったのですが、何とか仕事はこなすことができました。仕事の後は、またもやヨップル。仕事をしている人々は、仕事の後のこの一杯を心の支えに、仕事に励んでいるようなので仕方のないことです。午後からは明日の仕事もあることなので休むことにしました。

2005年12月24日
明け方に雷を伴う豪雨が降りました。乾季といっても、朝方には霧が深く、空中湿度はまだまだ高く、研究所周辺の林では、霧が木々の葉に結露して雨のように水が林内へと降っているような状態だったので、雨が降っても不思議ではないのかも知れません。しかし、朝にはその雨も上がり、もちろん今日もチューブの設置作業を行います。しかし、明け方の雷と呼応するように、私のお腹の調子も完全に下り坂で、今日の仕事は大丈夫か?と不安で一杯でした。しかし、何とか午前中の仕事は無事終えることができました。さすがに、今日はヨップルのおつきあいは遠慮させて頂きました。もしかすると、このヨップルが原因でお腹の調子が悪いのかも知れません・・・しかし、夜になるとKUPRIのチンパンジーの研究に携わっている現地のガイドさんとクリスマスパーティーがあるということで、出かけることになりました。夜には何とか元気を取り戻すことができていたので、楽しい時間を過ごすことができました。早く、この地の生活に慣れて、元気に一日過ごせるようにしなければ・・・

2005年12月26日
今日も午前中はチューブの設置作業に立ち会いです。チューブの設置作業の監督と、チューブの中の温湿度測定を平行して行っていました。日本ではチューブの中の温度を測ったことはあるのですが、もちろんサバンナで測定するのはこれが初めてです。気温以上に強烈な日射があるので、体感としてはかなり暑いのですが、チューブの中は・・・測ってみると気温は意外と低いものです。外気温と比べても、せいぜい3℃程度高くなっているだけです。湿度はというと、結構これが高くて、外気温と比べると軽く10%以上は高くなっています。これだと、乾燥をずいぶん防いでくれるのではないかと期待してしまいます。
午後は、今日はチンパンジーを見に出かけました。ボッソウまで来ているにもかかわらず、今日までチンパンジーに遭遇していません。ここまで来ているにもかかわらず、チンパンジーは見ずに帰ってきました、っていうのはちょっと・・・という気持ちもあったので・・・。KUPRIの方が、チンパンジーの道具使用について定点観測されている場所があるので、そこにおじゃますることにしました。バン山の頂上付近まで上ると、観察拠点があり、チンパンジーがやって来て、石を使って(台とハンマー)ナッツを割る様子などを観察されているのです。観察拠点に到達してから小一時間待ったでしょうか・・・子供のチンパンジーがやってきて、おもむろにナッツ割りを始めました。本で読んだことはあり、テレビでも見たことがあるような微かな記憶・・・しかし、生で見るのは初めてです。
「お~、やってるよ~」
転がるナッツを何とか石の台の上に置いて、何となくぎこちない手つきでナッツを割っていました。
写真を撮って、カシャカシャとシャッター音がしても気にせずにナッツ割りを続けるチンパンジー。表情は真剣そのもの。人間に最も近い動物であるというのもよく分かりました。あれほど表情が豊かだとは・・・

これは、チンパンジーのナッツ割り(ナッツクラッキング)の観察場所です。ヤシの葉で目隠しを作り、チンパンジーが落ち着いていつも通りの行動ができるようにされています。そこに観察窓(というよりも穴)を設けて、そこから観察。写真撮影、ビデオ撮影などを行っておられるそうです。ここまら、チンパンジーのナッツ割りをしばらく観察させて頂きました。

これは、観察窓から撮影したナッツ割りの現場。本当に石という道具を使ってナッツ割りをしていました。感動です。幼いチンパンジーほど手つきは不器用で、表情は一生懸命でした。

2005年12月27日
今日は、チューブの設置最終日です。本来、現地の子供達に植栽をしてもらって、チューブを設置してもらおうと思っていたのですが、運悪く学校は冬休み。暑くても、冬休みなんです。子供達はめいめいで遊んだり、家のお手伝いで精一杯です。残念ながら、私たちがいる間に、小学校などで植樹を行い、チューブを設置して頂くことはできませんでした。しかし、今日までに設置したチューブは1000本。200本はまだ残っています。IREBの方々に現地の学校などで使用して頂ければうれしいのですが・・・
何はともあれ、何とか1000本のチューブの設置は無事終了です。無事設置されたことはホントにうれしいことでした。あとは、チューブが設置された木々が大きくなってくれることを祈るばかりです。

2005年12月29日
チューブの設置と伴にマルチ(刈った草などで植栽木の根元を覆って、乾燥や雑草などの繁茂を抑制すること)をお願いしていたのですが、言葉足らず、ということもあってか、不十分な場所もたくさんあったような気がしていました。てくてくとサバンナの中を1時間くらいかけて歩いてチューブの設置現場の様子を見るついでに、マルチを行いに、さらについでにチューブ内の温湿度を測定しに出かけました。思った通り、マルチは不十分で、マルチをしなければいけないチューブはたくさんありました。草刈り用の鎌など用意していなかったので、剪定ばさみでイネ科の草をちまちまと刈りながら、それをチューブの根元に敷きつめていきます。地味な作業です。時々、こんな事をしていても役に立つのだろうかと、心が折れそうになりながら、それでもサバンナが森林に還っていくさまを想像しながら、ちいさなことからコツコツとするんだと思ってここに来たんだと思いながら作業を続けました。15時を過ぎた頃に、持参したきた水がなくなり、暑さでバテてきたので帰ることにしました。まだ、不十分な箇所は残っていますが、これから毎日コツコツとしていけば、何とか・・・

このあたりでは3つ村が三角形の各頂点に位置するように存在しています。それが、ボッソウ村、セリンバラ村、ニオン村です。ニオン村はこれらの3つの村の中ではもっとも小さな村なのですが、この村にもちゃんと小学校があります。冬休み中ということで子ども達が勉強しているところをみることができませんでしたが、中の黒板には文字がびっしりと書き込まれていました。

2005年12月30日
KUPRIと共同研究されてたイギリスの方(キムさん)が朝に帰路につかれました。我々がボッソウに到着される以前から、ボッソウに滞在されていた方です。そういうこともあって、研究所での生活は、フランス語と英語、そして日本語が入り交じった生活でしたが、基本的には英語で会話していることが多かったと思います(フランス語は現地の方が来られていたときだけ・・・)。英語もそれほど堪能ではない私。特に、聴き取りが拙いのです。ロンドン系のアクセントの英語を話すキムさんの話を聞くのはいささか大変でした。オーソドックスな発音でも完璧に聴き取りができないから、余計に・・・しかし、何とかロンドン系のアクセントにも慣れてきたかと思ったころにはその英語生活も終了となりました。
さて、今日もチューブの現場訪問も当然のごとく行いました。今日は朝から山々がくっきりと見えています。これまでは、朝は霧がかかることが多く、湿度ももちろん高く、昼前までは薄曇りのような日々が続いていたのですが、様子が異なります。どうやら、本格的な乾季に突入した、という感じです。これまでは、ホントに朝は濃霧で、研究所の裏の林では、木々の葉に結露した水滴が落ちて、まるで雨のようにぽたぽた降っていました。それも、今日の朝には見られないようになっていました。サバンナでも朝から暑く、風も少しあり、乾燥した感じで、蒸し暑さは感じません。しかし、植栽された木々にとってはこれからが厳しい季節になるのでしょう。少しでも、乾燥を防げれば、という思いで、昨日と同じくちまちまマルチの作業を続けました・・・

2005年12月31日
いよいよ大晦日です。朝は結構涼しいのですが、昼が暑いのでなんとも大晦日っていう実感はありません。半袖でいるとじりじり日焼けします、こんな大晦日っていうのは初めての経験です。
今日は村で学校関係者にノートなどの贈呈です。やはり、チンパンジーの研究や保護、森林保全に最も必要なのは地元の理解と協力です。そのためには、長期レンジかも知れませんが、教育はもちろん不可欠なので、そのお手伝いが少しでもできればとの思いがあります。
夕方からは牛田先生とローラの町に出かけました。偉い人には会っておかないといけないということで、偉い人がいるローラで新年を迎えるパーティーに招待されているようなのです。ボッソウの村長夫妻とIREB所長と牛田先生と私。5人を載せて、ジムニー(こっちではサムライという名前になっている)が舗装されていない道を1時間近く走っていきます。僕は、タイヤの張り出しの真上に乗った状態で、堅い堅い鉄板の上に座っているような状態。しかも、舗装されていない道や舗装されていても穴だらけの鬼のような道ばかり。これは、修行のようなものでした・・・
なんとかローラにたどり着くと、郊外で別荘地のような趣のある場所に立派な別荘のような建物が現れました。その建物のエントランスにソファーがコの字型に並べられています。その手前には、テラスがあって、スペースが設けられ、その周辺にいすが置かれています。どうやら、迎賓がソファーに座って、その他の人たちはテラス周辺のいすに座るようです。大きなスピーカーからは信じられないような大音量で音楽が流れています。どうやら、ダンスで新年を迎えるようなのです。12時になった瞬間は、偉い人に人だかりです。偉い人から握手してもらっていく、というのが習慣のようです。僕たちも迎賓として座っていたのでたくさん人と握手しました。そのパーティーを途中退席し、ボッソウへ戻ります。ボッソウにたどり着くとそこでも村のはずれの青年会館とかいうところで、同じように音楽ならしてダンスしています。会館の外に席が設けられていて、ビールを出してくれたので、ビールを1本ご馳走になって、その後は、またダンスです。ここは電力不足で暗くて、踊っている相手の顔もよく見えない状態です。ここも途中退席して、何とか研究所にたどり着いたら午前の3時。アフリカの年末年始も疲れますね・・・このあたりは日本と同じようなものでした・・・

学校関係者への贈呈式が終わってからローラという隣町へ買い物ついでに昼食を食べました。昼食は牛肉を炒めた物。汚い机の上で、マシェット(草刈りなどにも使ったりするなたのようなもの)で肉を叩き切って、鉄板の上で焼きます。写真は肉を叩き切っているところです。とても衛生的とはいえませんが、これが普通です。こういう状況に慣れるまで時間がかかりました・・・

2006年1月1日
とうとうギニア共和国で新年を迎えました。こんな形で新年を迎えるとは、半年前にはとても想像すらできないことでした。新年といってもやはり暑い日々は続いていますから、どうしても体感として「新年だ」という実感はありません。今日は朝から、松沢先生のお言葉に甘えて家に電話しました。不肖、小生にも相棒がいるので電話で話をさせて頂きました。もちろん、ギニアから電話がかかってくるとは思ってもいなかった相棒は驚いたようすでした。電話で聞くところによると、日本では各地で大雪で大変なことになっているようで、相棒の実家も結構たいへんだったようです。雪というものが想像しがたいギニア。お互いちんぷんかんぷんな話をして電話をきりました。昼からは、GreenCorridorの写真を撮るために出かけました。KUPRIの方々はチンパンジーの研究が主目的ですから(当たり前ですよね)、GreenCorridorの写真は今日までは撮っておられませんでした(チューブの現場はこれ以前にも撮影されていますが、チューブを使用している場所だけがGreenCorridorというわけではありません)。今回のボッソウ滞在メンバーでは一番じっくりと暇をもてあましGreenCorridorを歩き回っていたのは私なので、私が不肖ながら案内させて頂きました。ぐるっとアウトラインだけ見て回って写真を撮っているだけでも半日仕事になってしまい、今日一日はこれにて終了となってしまいました。

2006年1月2日
相も変わらずGreenCorridorに張り付きです。本格的に乾季に入ったサバンナをしっかり観ておきたいという気持ちがあったのでサバンナに出向くことにしました。
朝の8時の研究所の外の気温は13.7℃(日本の冬からすると暖かいんだろうなぁと思うかも知れませんが、日中が体感気温40℃以上という条件なので、かなり寒く感じます)。湿度は84%もあります。かなり高い湿度といえると思います。
サバンナに9時過ぎにはいると、植物の葉には朝露が付いています。日中は気温35℃くらいにはなるので日格差が20℃以上となるのです。となると乾季でも朝露くらいは発生するようなのです。しかし、10時になると、サバンナは騒がしくなります。特に、植林されている場所は下刈り(草刈り)されています。エレファントグラスがたくさん刈られています。放っておくと1年で草丈3mにもなる株立ちの草です。葉の幅が2cm程度で、イネが大きくなったようなものです。朝露をつけて、水分を含んだ刈り払われたエレファントグラスの葉が、「パチパチ」と音を立てて乾いていくのです。たき火でもしているような音がします。朝露で湿っていた葉が、太陽の力で乾いて葉が縮んで丸まっていくときに音がするようなのですたき火に紙を入れたときに紙が丸まるように丸まっていきます。
それくらい激しく乾燥していくようなのです。驚くべき自然の力です。実は一日中そんなサバンナに何もせずにぼ~といるだけでバテてきます。大した仕事はしていなくても、しっかりとバテることができます。昼には湿度は20%を下回ります。そんな中、一日中、ヘキサチューブの内部の温湿度と外気の温湿度を測定して過ごしました。さすがに、昼になるとヘキサチューブ内の湿度はかなり下がるようですが、植物の高さくらいまでは結構な湿度があるようで、壁面には露が付いていました。これで植物の乾燥をかなり防止しているのではないかと感じられました。今後の成長にいい影響が出てくれればなぁ・・・

2006年1月3日
今日も飽きもせずにヘキサチューブ内外の温度測定に出かけました。しかし、ちょっとバテ気味だったので午前中で引き上げてしまいました。半休です。しかも、IREBのガイドの人にサバンナで一人で仕事をしているのがばれて怒られてしまいました。ここで仕事をするときにはガイドを1人以上連れて行かないといけないそうなのです。しかし、僕の仕事はある場所にとどまって、一定時間間隔で温湿度の測定を行うだけです。ガイドも必要ありません。しかし、そんなことは説明できるはずもなく・・・(フランス語ができないので)。それで、少し凹んでしまったということもありました・・・ということで半休としちゃいました。

2006年1月4日
村は例によって水曜日のマルシェでお休みです。午後からは、ニンバ山へ登るためにベースキャンプ地へ移動しました。セリンバラ村から歩いて1時間ちょっと。山の中を登っては下りを繰り返し、徐々に上がっていきました。キャンプ地に着くと、木々の枝とヤシの葉で作られた小屋があります。ここにガイドの人々が寝泊まりし、1ヶ月ほどニンバ山のチンパンジーを追跡しています。彼らにニンバ山の案内をしてもらいます。この日はその小屋に泊まって明日の朝から出発するという予定です。しかし、森林内に作られた隙間だらけの小屋に泊まるので、蚊が恐ろしくて(マラリアになる危険性があるので)なかなか寝付けず、大変な思いをしました・・・

2006年1月5日
8時前頃からキャンプ地を出発して、ニンバ山を登っていきました。道なき道を歩くようなので、戦闘を歩くガイドが剪定ばさみで木々を切りながら道を切り開いてドンドン進んでいきます。途中休憩を挟みながらお昼頃にニンバ山一角のリシャールムラといく山の中腹に到達しました。この山は、雨季に牛田先生も登られた山で、そのときの写真をみせて頂いたところ、見事なお花畑になっている場所だったのですが・・・森林からポッとでると焼け野原。灰が風に舞っているような状態でした。この風景には唖然。つたないフランス語で理由を聞くと、どうやらニンバ山の上の方から石が転がってきて(よくみると岩肌がむき出しになっている急斜面がたくさんあり、中腹から少し登っていったところは地面に石がゴロゴロしていました)、地面の石や岩と接触して火花を散らし(ここの石は鉄分を多く含んでいるらしく、赤褐色です。火打ち石のようなものです)、乾燥で枯れた草に火がついて、それで山火事になってしまうそうです。向かいに見える山(グートン山かな・・・)でも燃えている火が見えました。何とも自然の恐ろしさというかすごさを感じました。その煙のせいで、サバンナは霞んでよく見えません。雨季の頃にはサバンナはくっきり見えるそうで、それを期待して来たのですが・・・残念。ヘキサチューブももしかして見えるのではないかと思って、双眼鏡を駆使して場所を探そうとするのですが、見えません。ホント残念でした。しかし、壮大な風景は肌で感じることもできたし、ニンバ山の自然の豊かさも十分に感じました。滝の音をバックに、時折聞こえるチンパンジーの声。しばし、そんな自然を堪能してから研究所へを来た道を歩いて歩いて歩いて・・・帰りました。

2006年1月6日
今日は、昨日みかけた植物やサバンナでみかけた植物について調べ物です。熱帯の植物なんてそうそうみないし、名前もよく知らないので、できる範囲で調べていました。それで、今日一日の仕事はおわり・・・

2006年1月7日
今日は朝からチンパンジーをみに出かけました。ここに来て、一度しかチンパンジーをみていないというのももったいないので、思い切って出かけることにしました。半日チンパンジーを追って山の中を歩きました。チンパンジーはえさを食べては休んで、昼寝して、えさを食べて移動して・・・を繰り返しているようです。野生のチンパンジーと長い時間接しているのはもちろん初めてのことでドキドキものでした。朝一番からケンカしているところに遭遇し、ヒヤヒヤ・・・えさを食べているチンパンジーをみてワクワク。かなり楽しい時間を過ごしました。

2006年1月8日~9日
8日は出発する用意をして、9日の朝一番にボッソウを発つことになりました。一ヶ月弱この地で生活し、緑の回廊プロジェクトの一員として少しでも仕事ができたことに喜びを感じつつ、やり残したことがあるのでは・・・と不安を抱えつつ、もっと色々やりたいこともあったのにと不満を抱きつつ、この地を去ることとなりました。実に、長いようで短いようで・・・時間が延び縮みしているようなそんな感覚を抱きます。緑の回廊用地に植栽された木々の成長を祈って・・・さらば、ボッソウ。

ボッソウを発つ朝、車が発進してから振り向くと朝陽をたたえて見える研究所。ここで、1ヶ月生活したのか・・・とやや感傷的になる・・・それくらきれいな朝陽でした。

2006年1月10日(火)
朝起きると、昨日帰り道のコーヒー畑でパンク修理を待っている間に、アリか何かわらないけど虫に刺されたらしい右手の甲(薬指から小指にかけて)がパンパンに腫れていました。手を握るとかなりの違和感が・・・まるで突き指でもしたみたいに腫れています。
アフリカの虫って怖いですね。
さて、今日はイスラム教の何某かのお祭りがあるとかで、少し見学させてもらうことになりました。9時半から合同でお祈りとかをやるらしく、大学構内のグランドへ。
IREB所長のクルマ氏は「写真とってもいいよ」とか言ってたけど、実際、お祈りの場所に行くと軍服を着た人が、機関銃を肩から提げて、
「こっちに来い」
というジェスチャー。どうやら、ファラナ(FARANAH)という町の多くの人々が集まってくるらしく、場所を空けろという意味と、関係ない人間はお祈りのじゃまをするな、とか、写真はいかん、みたいな雰囲気。
「邪魔っていったってもう9時半だし、この辺は人がいないからいいじゃん」
と思っていたけど、宗教までアフリカン。時間通りには始まらないし、集まらない。遅刻者続出の中、お祈りや説教が行われています。その横で、ヤギが大声で「メ~」。軍人さんは、お祈りの邪魔だからとヤギを追っ払っていました。結局、バラバラと人が集まってきて、終わり間際には4000人くらいはいたのでしょうか、かなりの大規模のお祭りでした。4000人の人々が一斉にお祈りする様子は圧巻です。
その後は各人個々人で、家でお祭りです。生け贄として、羊を殺して神に捧げます。(もちろんその後は、家族と近所で食べすらしいです・・・)その儀式をみせてもらって・・・その後、買い物にでもという話があったけど、町中がお祭りで、店なんかもお休みだとかいう話だったので、散歩しました。ファラナの大学の施設なんかを見学して、その後ブラブラとクルマ氏の息子さんの後を付いて歩いていました。が、暑い。昼間はアフリカ人も歩き回ってなんかいないのに、日本人が歩くには無理がありました。

夕方にはニジェール川も見に行って、「お~これがあのニジェールか~」って少し感動しました。ただし、乾季でかなり川幅は狭い。
雨季になると相当川幅が広がるらしいです・・・河川敷らしき場所まで家が建っているけれど、雨季には浸水しちゃうらしいです。恐ろしいところに家を建てるもんだと感心しました。

2006年1月11日(水)
今日は朝、ファラナの大学によって牛田先生と向こうの大学の先生とお話しをされることになりました。GreenCorridorの話も少し出ていました。残念ながらずっとフランス語だったので、詳しい内容はさっぱり・・・漠然としか分からないのが情けない限りです。

その後は、いよいよ大移動です。ひたすらランクルが走る走る。往路によって昼食を食べた町に再び立ち寄って同じ食堂で昼食をとりました。往路の時には相当、私は驚き、体をこわさないものか心配していたのですが、人間、慣れるものです。
「あれ?こんなきれいな食堂だったかなぁ?」すっかりBossouの生活になれてしまっている自分に、こういったところで感じるんですね。アフリカの中でも、ギニアって遅れているという話を聞きました。アフリカの独立運動の先駆けとなったのがギニアらしく、見せしめのようにフランスから嫌がらせを受けたらしく、経済的にも文化的にも徹底的にフランスから切り離されて、何も残っていないようなところからスタートせざるを得なかったらしいです。その後独立した国々はそれなりにうまくやったようで、ギニアほど厳しい仕打ちはなかったらしく、現在の所、経済的には完全にギニアは立ち後れているような状態だ、ということです。だから、もしかするとアフリカの中でも最悪に汚い(衛生的に)所だったのかも知れません。ただし、食料がわりと豊富なので食べられないという貧困はなかったようです。それが救いなのでしょう。というかそれがあるから、まだしも内戦などがなく平和なのかも知れません。もしかすると、経済活動が遅れているので、戦争と言うところまで行っていなのかも知れませんが・・・
何はともあれ、ギニアを知っている人は、「ここを知ればどこでも生きていけるような気がする」と言っていたのが、何となく解るような気がしてきました。
日本が抜けきらないときには、「こりゃ絶対病気になるな・・・」と思ったのに、2回ほど下痢をしただけで、な~んともないものだから、ほんと、人間っていい加減なものです。(植物がこれだけ環境を変化させられると間違いなく枯れます・・・)
夕方6時頃にはコナクリに入りました。カオスに戻ってきました。ここのカオスぶりは相変わらず圧倒されました。秩序というものがなく(少なくとも私にはそう見えました)、ただただ人と物と車と家とゴミがあふれているという状態。この世の終わりのような、世紀末のような・・・しかし、ホテルに入ると、煌々と電気がついていて明るいのです。「電気ってこんなに明るいのかぁ~(感動)」って変な感動を覚える・・・すっかり田舎ものになったもんです。こんなことで日本の社会に復帰できるのか?

2006年1月12日
Direction Nationale de la Recherche Scientifique et Technologique(ギニア国立科学技術庁ってとこでしょうか)によってボッソウでの仕事について報告を行って、今日の仕事は完了です。少し、コナクリの町の中を散策し、一日を過ごしました。しかし、コナクリはボッソウと比べると街だし、標高も低いので、気温が相当高く、暑苦しいです。日本は冬。体が変になりそうですね。

2006年1月13日(金)
今日はいよいよギニア最終日。とはいえフライト時間は23:30です。それまで一体何をして過ごせばいいのか・・・?ギニアは特にコナクリって観るべきとことは何もないらしいのです。海がきれいだとか、有名な美術館があるとか、きれいな植物園があるとか、すばらしい建築物があるとか・・・そういったものが全くないのです。
昔の封建時代から植民地時代に突入し、独立したもののフランスから厳しい制裁を受けて文化というものが育たなかった国、ギニア。だから、お土産も「これぞギニア」っていうものは皆無と言っていいかも知れません。だって、ギニアっていったら何を思い浮かべますか?オスマン・サンコン?ちゃんとした地図もないし、ちゃんとした工業もないし、海は汚いうえに臭いし、町も汚くて臭い・・・
そして、何よりも昼間は暑い。だから昼近くまでホテルにいて、ぎりぎりにチェックアウトすることになりました。そして、AirFranceの受付カウンター(空港まで行かなくても受付があるのです)でチェックインです。その後は、いるべき場所を失って、街をさまようことになりました。しかし、暑くて何ともならないので、また、宿泊していたホテルに戻って時間を過ごすことにしました。
さて、19時に迎えに来てくれたので、部屋を貸してくれたホテル・ロシェにお礼をいって(待機している間、お部屋を提供して頂きました)。そして、空港へ向けて出発。実は、コナクリ中心部から空港までの道が一番ひどいんです。穴だらけなのはもちろんのこと、突然工事が始まって路線がなくなり(案内などは一切なし)、対向車線に入るもしくは対向車が突然入ってきて、「あ、工事なんだ」という具合です。この道路、半分ハイウェイのような雰囲気になっていて路面状況さえよければ100km/h近く出しているのにこの状況。しかも、まともに道路として機能していれば、片道2車線は確実にあるような道。そこを横断していく人が大勢いる・・・中央分離帯などは人が立っているし・・・「コワイ・・・」の一言です。そんな中を平然と運転手はランクルを走らせ、空港へ。22時にチェックすると言うことなのだけれど、20時前に着いちゃったから・・・ぼーっと時間を過ごすことにしました。しかし、空港って人が集まるところ、しかも夜。蚊が飛んでくるんです。マラリアが怖い・・・(予防薬を飲んでいても抵抗性のマラリア線虫がいたら関係ないですからね・・・発病します)22時前まで蚊にだけは刺されないように気を遣いながら過ごして、出国。これまでお世話になったクルマ氏とはここでお別れです。ほんとにお世話になりました。出国するときには、もちろん金属探知器のゲートを抜けます。しかし、「ピー」ってならなくてもハンディタイプの金属探知器を体中に当てて調べます。年には念を入れてというところなのでしょうか?もちろん、手荷物はX線を通して調べます。
そして、やっと出国。免税店は一応あるのですが、ほんとに一応ある、という程度です・・・飛行機に乗るまで何もすることがないのは、また同じ。でも、ここは空調が効いているのでまだ居心地がいいのですが、しかし、蚊にとっても居心地がいいらしく、さっきより多い・・・また緊張して時間を過ごす羽目に・・・早く飛行機に入りたいという気持ちを逆なでするかのようになかなか始まらない搭乗手続。やっと始まったと思った時間が、フライト予定時刻23:30の20分前の23:10頃。ボードにはフライト定時と書かれてるが(手書き)、絶対に飛べるはずがない。しかも、普通搭乗券を機械に通して「はい、どうぞ」(パスポートの提示を求められることはあるけれど)なのに、ビリビリとチケットもぎりのように半券を手でちぎっては、パスポートと照らし合わせて本人確認をした上で、席を確認してメモをとって、とった半券を機械に入れている・・・したがって、なかなか進まないのです。飛行機は満席のはずで、219名の乗客が乗るはずなのです。「何やってんの?」という気分になります。しかも、アフリカのおばさんたちは平気で割り込んできて、自分の順番になってからあっちこっちの荷物を開けだしてチケット探しをする始末。長い間、大勢の人間が密集しているので、蚊も大喜びだったに違いない。僕も刺されたような気がする・・・最後は気持ちの問題で、刺されているのかいないのか解らないけれど、何処かしらかゆい・・・「コワイ・・・」です。そして、何とかチケットもぎりが終わって、滑走路を歩いて飛行機の近づくと、まずはパスポートの再チェック。そして、タラップの前に机を出して、警備員が数名、手荷物チェックをおこなっているのです。東京ディズニーランドの入口のような状態ですね。大体、何回手荷物のチェックをして、パスポートの確認をすれば気が済むのか・・・さっきのチェックはいったい何のためにやったのか・・・しかし、ここの空港のセキュリティチェックというのははっきり言って信用できない。だからこそ何重にもチェックをしなければならなくなるのです。ここの空港に降り立ったときに、出国手続きも終わっていないのに出迎えに来ている人が大勢いたのをみかけました。出国しない(フライとしない)人が国外にいることになっているのだから、いいかげんなものです。出国後の待合いロビーにも、なぜか見送りの人が来ていたし、搭乗口から人がロビーにドンドンは行ってくるし・・・そんなことだから、飛行機に乗る直前までチェックしないと、何が持ち込まれるか解らないし、誰が乗ってくるか解らない。しかも、手荷物は普通1コまでとか、2コまでとか決まっていて、大きさも決まっている。もちろん重量も決まっているのに、アフリカ(ギニア)の人ってあり得ないくらいの量の手荷物を持って飛行機に乗り込もうとする。「え?引っ越し?」って思うくらいの手荷物を持ってくる。商売をしに国外に出るのかも知れないけれど・・・だから、遅くに飛行機に乗り込んだりしたら自分の手荷物を入れるスペースがなかったりする。そんなこんなで、何とか飛行機の乗り込んだのが23時50分くらいだったかと記憶しています。この時点で、定時のフライトから遅れています。そして、、最後は乗務員による人数確認。その前に、自分の席でもないくせに「ここがいいから」と勝手に座っている人が多く、あっちこっちで正規の客ともめていたり・・・そんなことだから、人数確認をしていても人がドンドン動いたりするから人数があわない。機内アナウンスで、「動かないようにして下さい」といわれても、ドンドン動く人々。仕方がないので、最後は乗客名簿と半券を照らし合わせて、ちゃんと本人が乗っているかを確認している始末です。それだけではない・・・最後には、搭乗手続をしているのにもかかわらず乗っていないという人間がいるというのです。そんなことになったら大変です。荷物は機内に積み込まれているはず。荷物だけ積み込んで本人は乗ってこない・・・ってことはもしかするとその荷物には爆発物が入れられているかも知れない・・・だから、そういう場合は例外なく積み込んだ荷物を全部出して、乗っていない人間の荷物だけはとりあえず飛行機から降ろすらしいです。そんなことになったら、いったいつにフライトできるのか???しかし、何とかその乗り込んでいなかったとか言う人物は見つかったらしいく・・・。ま、とりあえずそんなこんなで、アフリカを発つのはホントに一苦労でした。そして、飛行機が飛び立つ直前には機内に殺虫剤を噴霧して、仕上げ。(こんな光景もアフリカならでは。同じマラリア流行地域のタイでもこんな事はなかった)
これで、朝にはパリに無事到着しているはずです・・・


2006年1月14日
空港でのトラブルを想定して(最悪の事態を想定して)、パリで一泊挟んだのですが、無事荷物も私達もパリに到着したので、パリを少し観光することができました。初めてのパリ観光。パリに詳しい牛田先生の案内で町中をウロウロすることになり、とてもリラックスすることができました。

2006年1月15日~16日
パリを発ってから、十数時間後、関西国際空港に降り立ちました。今年の冬はとても厳しい寒さだったとかで、あちらこちらで積雪が多く、被害がたくさん出ていると聞いていたのですが、帰国した日は小春日和と言うほどでもないにしろ寒さはさほど厳しくなく、暑い国から帰ってきた私達にはとてもありがたい気候でした。帰ってくるとやはり、日本はホッとします。言葉で苦労することもないし、勝手知ったる国ですからね・・・しかし、長かったような短かったようなギニア滞在でした。